竹内信夫先生(ご専門はフランス文学や空海の研究)が、
『みすず』8月号掲載のエッセイ「北京つれづれ」のなかで『魯迅の言葉・魯迅箴言』に触れてくださったことが、平凡社の編集者山本さんから丹羽さんへ、そして私へと伝わった。
一冊の本が世に生まれてから描く独特な動線に思いを馳せながら、さっそく送られてきたPDFファイルを開けてみた――。
(*竹内先生の文章の抜粋は、「掲載情報」をご覧ください。)
竹内先生と学友の潘さんと一緒に北京郊外の鳳凰嶺に登ったのは三月末だった。
本来その頃に終わるはずの北京日本学研究センターでの任期が一ヶ月延期されたと先生から伺い、「では離任される前にもう一度会おうね」と約束をさせてもらった。
その日の先生は大地色系の帽子と登山靴と動きやすい服をして、いかにも山岳に馴染んでいるご様子で険しい道さえ平然に通ったのである。
山頂でおのおのお気に入りの石を見つけては座ったまま一息入れた時に、先生は周りの山々を眺めながら、「大昔に、この辺はぜんぶ海だったよ」と悠然と滄海桑田の話をされた。
およそ一ヵ月後に、約束通り今度は市内、それも“故宮のすぐ後ろの湖”こと「後海」の畔で再会した。しかしその日の先生は、離任される前のハードなスケジュールの連続ですでに疲れ果てておられたことを、わたしはこれまでついぞ知らなかった。
(ミネラルウォーターと小豆の餡子で体内の濁りを出して、元気を回復したのか――またいいことを教わって、ありがとう。宝宝(バオバオ)を先頭にして総勢七名、にぎやかで楽しかったね。)
3.11の大震災が起きたあとの混乱の最中に、平凡社が先に『魯迅の言葉・魯迅箴言』の印刷を始めた。四月のその時点で、材料の調達などでやや遅れた三聯書店も工場入りできた……といったような話を、お茶を飲みながらしていた。
実際に本が先生のお手元に届いたのは、七夕の日だそうで、そしていまこうして、海を隔ててわたしは「北京つれづれ」を読んでいる。
130もある言葉のなかに、文末に魯迅のあの一句を引用したのは、いかにも竹内先生らしい。
(韓冰)
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